和歌浦・仮面フォーラム――芸能と仮面のむこうがわへ2013年03月02日 16:00

和歌浦仮面フォーラムチラシ表
和歌浦・仮面フォーラム――芸能と仮面のむこうがわへ

■日時 2013年3月2日(土)~3日(日)
■会場 和歌山市新和歌浦:木村屋大広間
■企画&プロデュース 山本ひろ子(和光大学教授・成城寺小屋講座代表)
■主催&運営 成城寺小屋講座
■協力 スタジオOGA/木村屋/和歌山県立博物館/安来・清水寺/ほか

■スケジュール

一日目
★3月2日(土)
13時       JR紀三井寺駅集合 マイクロバス乗車
13:00~14:30 【和歌浦を散策する】
          紀三井寺→羅漢寺→紀州東照宮・玉津島明神・塩竈神社他→木村屋
           案内人:吉村旭輝
14:45~     〔木村屋チェックイン:休憩〕     
15:30      開場:受付開始
16:00     ・開会のごあいさつ  山本ひろ子
          【乾武俊新作披露公演】   
16:15     ◇「黒い媼」(15分)
            槻宅聡(能管)/小笠原匡(舞)        
16:30~    ◇講演「若い女面と黒い媼面」  乾武俊(90分)
18:00     
              -休憩(10分)ー
18:10     ◇劇「カイナゾ申しに参りたり」(40分)
            脚本・乾武俊/演出・小笠原匡
            出演・小笠原匡、清水谷善圭(安来・清水寺貫主)、
                槻宅聡、小笠原弘晃
18:50~     〔休憩・懇談会準備〕  

19:10     【乾武俊先生を囲んで(1)~夕食と懇談会~】


★二日目
3月3日(日)

9:20      開会  
9:30     【フォーラム:芸能と仮面のむこうがわへー『能面以前』をめぐって】
     ◇提題:「芸能と仮面のむこうがわへ」  山本ひろ子
     ◇報告:「乾武俊氏所蔵の仮面について」(仮)大河内智之(和歌山県立博物館)      
10:30       ー休憩ー
10:40 ◇レポート 「『能面以前』をかく読めり」
             山本ひろ子研究室・成城寺小屋講座 3名
11:30 ◇ディスカッション   

12:45     【乾武俊氏を囲んで(2)~昼食とティータイム~】
※ ゆかりの方々に自由に語っていただく
※ ゆかりの映像上映など
14:30     閉会のあいさつ

国立歴史民俗博物館研究報告第166集「紀州徳川家伝来楽器コレクションの研究」2012年09月04日 23:20

国立歴史民俗博物館研究報告第166集「紀州徳川家伝来楽器コレクションの研究」
国立歴史民俗博物館研究報告第166集「紀州徳川家伝来楽器コレクションの研究」

2006年から2008年にかけて行われた基盤研究の報告書。
笛(篳篥・龍笛・高麗笛・神楽笛・能管)のX線写真がカラー、実寸3/5で掲載されている(篳篥は実寸)。

この写真がすばらしい。

龍笛の修理の痕跡、能管の喉の部分の細工、頭部の錘など、この方法でなければ決して目にすることのできない画像である。人体の骨格写真のように生々しい印象さえ受ける。
龍笛のうち一点には、仏像の形をした錘が写っている。

これまで、この種のまとまった画像は下記二点くらいしかなかった(と思う)。

①安藤由典「能管の音響学的研究(その1)」『音楽学』第12巻、音楽学会1966所収
②小島美子・神庭信幸「フエの源流と改造」『日本楽器の源流―フエ・コト・ツヅミ・銅鐸―』国立歴史民俗博物館1995所収

①は能管の喉について現在に至るまで唯一の科学的調査である。②の調査対象は歴博の所蔵品だから今回の報告第166集と同一だが、掲載されている写真は喉の部分のみである。①は古いのでおそらく入手は困難(国立能楽堂の資料室にはあるらしい)。②は非売品だが古書として入手可能。

国立歴史民俗博物館
http://www.rekihaku.ac.jp/index.html
公開データベースで楽器の外観を写真で観ることができる。
研究報告書もこのサイトで購入可能。

紀州徳川家伝来楽器コレクション2012年09月04日 16:34

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)
2012年9月1日、国立歴史民俗博物館企画展「紀州徳川家伝来楽器コレクション」(会期は9/2まで)を拝見した。

紀伊和歌山藩十代藩主徳川治宝(はるとみ、1770-1852)が収集した膨大な雅楽器と楽譜類のコレクション。

紀伊和歌山は能楽の盛んな藩として有名なので、能楽師としては能楽関係資料も含まれることを期待してしまうが、当該コレクション中の龍笛27点の中に、二点以上の能管が含まれていることが1992年の時点で明らかになっていた(『歴博フォーラム・日本楽器の源流ーフエ・コト・ツヅミ・銅鐸ー』1995年、国立歴史民俗博物館発行)。

1992年11月の歴博フォーラムでは小島美子氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)を中心に龍笛の改造・修理と能管の喉の発生の関係が論じられた。
この頃歴博が行った透過X線検査により、龍笛の修理跡と能管の喉の構造がよく似ていることがわかり、龍笛の修理によって、喉の音響的効果が偶然に発見され、その後意図的に能管が製作されるようになった、というのが小島氏の推論の流れだ。断定こそ避けているものの、従来からの龍笛改造説を裏付ける資料であると結んでいる(前掲書121頁)。
 
2006~2008年に行われた基盤研究「紀州徳川家伝来楽器コレクションの研究」では東京国立文化財研究所の高桑いづみ氏が中心となり、1992年の調査結果を補い、修正する意見がまとめられている(前出、研究報告第166集)。この基盤研究では再度、透過X線検査が行われた。笛制作家である田中備長・彩子夫妻も調査に加わり、前回よりも詳細かつ予断を排した検討が行われた。他所の所蔵品(龍笛・能管)の計測結果も対照して、歌口から各指孔までの距離を一覧表に示し、「龍笛を短くすれば能管になる、龍笛に喉を挿入すれば能管になるわけではない」としている。これは実演の立場からも実感することで、喉だけが能管を能管たらしめているわけではないと常々思っていたことと合致する。写真を比較するだけでも容易に気付くことだが、龍笛の指孔にたいして能管のそれは小さい。小さかった孔を削って大きくすることは容易だが、逆はまず不可能に近い。したがって、現在の姿の龍笛を改造して能管を作ることはまずないと言ってよい。
しかし、ここで考えなければならないのは、龍笛も長い時間のなかで変化しているかもしれないということである。現存する龍笛の祖としての原・龍笛が能管の祖でもあった可能性は、ある。

荻美津夫氏が1992年の歴博フォーラムで「九世紀くらいから十世紀にかけて雅楽のフエが改造を加えられた可能性」に言及しているし、高桑氏も、能管「男女川」の由来書に関して「能管に近い『楽笛』がはたして存在するのかどうか、そのあたりから検討する必要がありそうだ」として、龍笛とは異なる種類の笛を改造して能管「男女川」が作られた可能性を残している。

ところで、この貴重なコレクションが1953年頃から1972年頃まで、島根県にあったことがわかった。
同企画展展示パネルの説明による経緯は以下の通り。

1953年、田部長右衛門氏(田部家23代当主・島根新聞社主・後に島根県知事)が徳川頼貞氏(紀州徳川家十世当主)より購入。
1972年、文化庁が買取り、国立博物館へ。現在は国立歴史民俗博物館の所蔵品。

インターネットで検索してみると島根県での展示も行われたことがわかる。
「名宝雅楽器展:元紀州徳川家コレクション 」
会期:1960年6月3日-6月12日、会場:島根県立博物館
(国立新美術館検索サイト「日本の美術展覧会記録1945-2005 」の検索結果による
http://db.nact.jp/exhibitions1945-2005/exhibitions.php?area=島根県)

目録(島根県博物館建設促進委員会『元紀州徳川家所蔵雅楽器目録』昭和31年刊行)も作られており、旧蔵由来など、現在はその情報源を特定できない内容の記述を含んでいるらしい。

“国の管轄になる以前にコレクションが少しずつ散逸し(中略)、紀州コレクション自体がいつの頃か混乱し、楽器や文書が本来とは異なる形で収められた可能性がある”(国立歴史民俗博物館研究報告第166集『紀州徳川家伝来楽器コレクションの研究』所収、高桑いづみ氏「紀州徳川家伝来の龍笛・能管について」より)。
島根県の目録作成段階でわかっていた情報が、国の所管に移った段階では不明になっている。今でも島根県にその際の混乱散逸の痕跡が残っている可能性も考えられるのではないだろうか。

清水寺落慶法要の媼舞について22012年04月29日 10:00

「媼舞」制作の発端を記します。
一昨年、島根県による仏像調査で、安来市清水寺の宝物館に所蔵されている男神木像が鎌倉時代に制作された「摩多羅神」であると確認され、大きな話題になりました。
http://www.izm.ed.jp/cms/news.php?mode=yoyakuadd&id=582
摩多羅神は、常行堂の後戸(うしろど)つまり、仏堂のなかの本尊にたいして後方の空間に存在し、本尊と堂衆の修業を守護すると言われています。平泉の毛越寺や出雲市の鰐淵寺ではこれを深く秘匿し、関係者以外は目にすることができません。
 また、この神に由来する芸能祭とでも言うべき延年(えんねん)には、原初的な猿楽が含まれており、現在の能楽の起源を探るうえで重要であるとされています。
摩多羅神像が清水寺でみつかったということは、かつてこの寺院において、摩多羅神に関わる儀礼(常行三昧供)、芸能(いわゆる延年)が行われていたことを示唆します。 それに関わるものかどうかは不明ですが、清水寺には古い仮面が八点存在します。

清水寺落慶法要の媼舞について12012年04月29日 10:00

清水寺落慶法要
2012年4月29日
安来市清水寺の落慶法要で「媼舞」を奉納しました。
この春から本堂に祀られている「摩多羅神」への奉納です。
http://www.kiyomizudera.jp/
清水寺のウェブサイトには「能『媼舞』」とありますが、
筋立てのある演劇としての「能」ではありません。