清水寺落慶法要の媼舞について22012年04月29日 10:00

「媼舞」制作の発端を記します。
一昨年、島根県による仏像調査で、安来市清水寺の宝物館に所蔵されている男神木像が鎌倉時代に制作された「摩多羅神」であると確認され、大きな話題になりました。
http://www.izm.ed.jp/cms/news.php?mode=yoyakuadd&id=582
摩多羅神は、常行堂の後戸(うしろど)つまり、仏堂のなかの本尊にたいして後方の空間に存在し、本尊と堂衆の修業を守護すると言われています。平泉の毛越寺や出雲市の鰐淵寺ではこれを深く秘匿し、関係者以外は目にすることができません。
 また、この神に由来する芸能祭とでも言うべき延年(えんねん)には、原初的な猿楽が含まれており、現在の能楽の起源を探るうえで重要であるとされています。
摩多羅神像が清水寺でみつかったということは、かつてこの寺院において、摩多羅神に関わる儀礼(常行三昧供)、芸能(いわゆる延年)が行われていたことを示唆します。 それに関わるものかどうかは不明ですが、清水寺には古い仮面が八点存在します。

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